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悟りの境地とは?現在にも存在する「悟りを開いた人」の特徴8選
平松隆円R.Hiramatsu
1:悟りの境地の意味
(1)そもそも悟りとは何か?
意外と正確な意味を説明するのが難しい「悟り」という言葉。どういう意味をもっているのでしょうか。辞書で調べてみると下記のとおりです。
1物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。「―が早い」
2仏語。迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。「―の境地に達する」
出典:デジタル大辞泉(小学館)
辞書にのっている意味を聞いたところで、いまひとつわからない人もいるのではないでしょうか。実は仏教の世界でもひと言で悟りを説明することは、とても難しいとされています。
無理矢理ひと言で説明しようとすると「深く真実に目覚めること」と言えます。ですが、真実ってどういうことなのか……それもよくわからないですよね。
真実とは「うそでないこと、偽りでないこと」の意味ですが、悟りに関連しては、微妙に意味が違います。どちらかと言えば、真理という「いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道」という意味のほうが正しいかもしれません。
つまり、人として絶対的に正しいことはいったい何なのかを理解することが、悟りと言えるかもしれません。
(2)悟りの境地の意味は?
そんな悟りの境地とはどういうことなのでしょうか。悟りの境地は仏教では、「涅槃(ねはん)」という言葉が使われます。煩悩という人間の悩みや苦しみを断ち切って、人として絶対的に正しいことを理解し、それだけを行って生活をすることです。
なかなか一般人には、できることではありません。多かれ少なかれ、自分のわがままがでたり、人に迷惑をかけたりしても、自分のしたいことをしてしまうものです。
2:悟りを開くとどうなる?悟りを開いた人の特徴8
それでは、悟りを開いた人とは、どんな人なのでしょうか。仏教では、悟りを開くためには8つの正しい行いをしないといけないとされています。
この8つの正しい行いのことを、「八正道(はっしょうどう)」と言うのですが、逆に言えば悟りを開いた人はこの8つの正しい行いができているということ。そこで、ここでは八正道について紹介します。
(1)正見(しょうけん)
正見とは、正しくものを見るということ。わかりやすく言えば、自分勝手な自己中心的なものの見方ではなく、広く人類や動物や植物といった生きとし生けるものにとって、何がいちばん大事かという立場で物事を考えられることです。
(2)正思(しょうし)
正思とは、正しく考え判断することです。これも、広く人類や動物や植物といった生きとし生けるものにとって、何がいちばん大事かという立場で考え判断しなくてはいけません。
(3)正語(しょうご)
正語とは、うそや悪口や人のうわさ話などをしないということです。
(4)正行(しょうぎょう)
正行とは、言葉のとおり、正しい行いをするということ。正業と言われる場合もありますが、法に触れるような犯罪をしないことはもちろん、法律的には問題がなくても道徳に反するような「浮気」などももってのほかです。
(5)正命(しょうみょう)
正命とは、法律や道徳に反するような行為で仕事をして、お金儲けをしてはいけないということです。消費者を騙したり、不正を隠蔽するなんてもってのほかです。
(6)正精進(しょうしようじん)
正精進とは、自分に与えられた使命や目的を正しく理解し、誠実にそれを実行するということです。言い換えるなら、自己実現できるように、絶え間なく努力し続けることが必要です。
(7)正念(しょうねん)
正念とは、正しい心をもつということです。ある意味、八正道の基本となるかもしれません。
(8)正定(しょうじょう)
正定とは、心をいつも正しい状態にしておくことです。努力して気をつけていても、人間はちょっと油断すると自分勝手な考えをもったりしてしまいますが、そんなことではいけません。
3:ブッダだけじゃなく現代にもいる?悟りを開いた人物
悟りを開いた人物と言えば、やはり仏教の開祖であるお釈迦様(=ブッダ)が思い浮かぶでしょう。それ以外に、例えば現代でお釈迦様のように悟りを開いた人物は存在するのでしょうか。
これについては、仏教やキリスト教やイスラム教や他の宗教を信じている人たちからすれば、それぞれの指導者にいる人こそ、悟りを開いた人物ということになるかもしれません。
もちろん、イエスやマホメット、法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)だって立派な人たちでしょう。ですが、なかなか「この人こそ悟りを開いた人物だ」というのは正直難しいところがあります。
現代にもいるのかどうかを考えるより、自分が悟りを開くんだと考え、正しく生きるようにすることが大事かもしれません。
4:まとめ
悟ることも、悟った結果で悟りの境地に到達することも、なかなか簡単ではありません。もし、世界中の人たちが本当の意味で悟ることができれば、世界は平和になり、生きとし生けるものが本当の意味で幸せに生きることができるようになるのではないのでしょうか。
そんな世の中が訪れることを願うと同時に、努力しないといけないなと思います。